しまったと思ったときにはすでにとき遅し。

 某カップヤキソバにお湯を入れて三分。おなかがすいて死にそうだった僕にとって、三分は長かった。ソースやら鰹節やらもちゃんと、やってた。そう、ここまで失態はなかった!
 何も考えずに、次の行程にいく。ふたを全開。
 ここでお気づきになるだろうか? カップヤキソバは小さ穴が開いた一部だけをはがし、お湯だけを捨てなければならない。
 ぼくは、次の行程ではなく、次の次の行程にいってしまったのだ!

 無駄に、ざるを汚すことになりました。残念。

ルミネスII - PSP面白そうなゲームを発見した。
ルミネス2」というゲームだ。
なにやらパズルゲームで、難しいそうだ。僕はぷよぷよ以外のパズルをやったことが、あまりない。テトリスパズルボブルを微妙に……。
しかし、このゲームの全く違うところに興味を引かれた。
音楽。BGMに凝っているようである。四角形に設置したパズルをBGMのビートにのせて壊すらしい。ぼくは、いつもテクノやユーロなどのクラブ系、ダンス系の音楽ばかりを聴いているので、とても嬉しい。
ああ、欲しい……と、思いながら浮かぶのはPSP。ハードがPSPなのだ。僕は持っていない。ざっと見積もって、24000円?
高校生に出せるかい!

久しぶりのブログ。これは僕に対しての鎮静剤であり、もしくは贖罪のようなものである。

 朝八時半ごろに、弟に起こされた。日曜日のこの時間はいつもなら熟睡しているのだが、前日に夜更かしをしていなかったからだろうか、すんなりと起きれた。しかし、この爽快な目覚めを一気に、どん底に突き落としたのは弟の一言だった。



    「ボンが死んだ。」




 前日……いや、二週間前から、個人的には三年前に遡りたいのだが……。
 これはぼく個人のものだと思ったので、三年前から語っていきたい。

 詳しくはもう覚えていない。ただ、調べようと思えば、調べることはできると思う。阪神タイガースが優勝した年で、近くの神社の夏祭りが行われている日だった。夏祭りの日を覚えたいないから、ボンとの出会いの日にちを覚えていない。
 実際にあったのは僕ではなく、弟だ。神社ちかくのたこ焼き屋で友人とたべっているときに、肩に飛んできたらしい。なんという奇跡。黄色の赤目のセキセイインコをボンと名づけたのは、次の日だったはずだ。野良インコだ。

 僕はもともと鳥好きだったので、飼うことは大いに賛成だった。反対したものは家族にいなかった。

 二、三週間前にボンの羽にしこりができているのを発見した。もっと前にできていたのかも知れないが、ぱっと見たときに気づけたのはこのときだ。最初は蚊に噛まれた様な腫れ具合で、たいしたことはないだろうと思っていた。

 一週間が過ぎ、その腫れがますますひどくなっていることに気づいた。母親が、なにかよく分からない薬を塗っていたが、全く効き目はなかった。僕はやめるように言ったのだが、聞く耳を持たなかった。腫れ……、腫瘍と呼ぼう、それはますます大きくなった。母親は「小さくなっている」と言い張った。肥大のピークを過ぎると、小さくなったというより、まとまる風になった。観点をかえれば小さくなたといえないこともない。腫瘍は黄色くなり、皮一枚を隔て、中に膿がなまっているように思えた。肉ではない肉。そういう感じだった。

 命日の前日に、もう、もたないと思えるほど衰弱していた。動かせば危険なのはみんなが承知だった。僕も、触りたくて、支えてあげたくて、包んであげたくて……だけど、安静にすることが一番だ、無駄に警戒させる僕の近くより、慣れた鳥かごの中の方がいいと自分に言い聞かし、延命に対して、一番言い方法を選んだ。
 しかし、親父がボンを籠から出し、手にのせていた。この行動は彼の独断だ。正直、怒りが沸いた。僕と弟は自分の部屋に、母は風呂に入っているときだった。
「鳥かごの中のほうが絶対に安心できていい。」
 僕が言うと、親父は
「手の中で眠るほうがいい。」
 と、言った。では、ボンを見よ。手の中で眠れているのか?眠れているのか?と、親父に対しここまでの怒りが沸々と湧き上がったのは初めてだ。毎日の如く嫌悪していたが、ここまで、真剣に消えればいいと思ったのは初めてだった。
 ボンは震え、おびえきっている。元気なときならば、わめきながら噛み付いてくるのに、それさえしない。そう、威嚇をしていたボンがそれをやめ、おびえているのだ。そのような状態で、手の中で安らかに眠れるといえるのだろうか?僕はいえないと思う。インコの気持ちはインコにしか分からない。インコに寄り添えるのはインコしかいないと思う。
 直情だけで動いた結果がこれだ。僕は親父をにらみつけた。親父はボンを戻した。それが正解だと思った。
 夜中のボンの描写は控えよう。ここに記さなくても、鮮明に残っている。思い出したくない……。
 今朝、弟によばれ、二階のリビングに下りると、ボンは死んでいた。半目で足が力なく、体をぎゅっと丸めていた。ボンの体を受け取り、ほほで触れてみると、まだほんのり暖かかった。たぶん数分そのままだった。
 その後、近くの公園に埋めに行った。

 僕は、ボンに何をしてあげれたのだろう?
 ボンは僕にいろいろなものをくれた。これは事実だ。存在するだけで、意味をなす者だったのだから。それなのに、僕は……。
 『忘れない。』これが、僕のとるべき行動だと思っている。


 もし、ここまで読んでくれた人がいるならば感謝しよう。
 僕の独白の見苦しさを、許してください。

明日の学校は、授業ではなく、耐寒登山だ。
上る場所は金剛山で。
今、僕は鼻かぜをひいてます。しんどいです。


耐寒って、寒さに耐えてこそ耐寒でしょ!
今の僕は耐えれませんよ!


サボったら、違う日に小人数で行くみたいです。
ああ、厳しい……。厳しい……。

皆様はこのような体験ありましたか?

ロアノーク島事件について考えてみました。

いや、考えたというより、情報を集めている状態ですね。
学生という条件をフルに使ってます。
社会の先生に、あの時期にどんな大きな事件があったの聞いたりしてます。
CROATOAN(CROATAN)の意味をひねくり回してみたり……。

ここで、ふと浮かんだ疑問をかいてみようかな、と。

①100人の失踪とあるのだが、ロアノークにはもともと何人の人間がいたのか。
 1000の内の100と、100中100では全く意味が変わってくるので。

②住民は、現地人(インディアン)かイギリスからの白人なのか。


ですね。まだまだ、調べて見るつもりです!




島田荘司のミステリー教室』読み終わりました。もう、読み終わってだいぶたつのですがw
とても楽しかったです。作家になるためのノウハウを詰め込まれた本って感じでした。
そして、この本を読んだのにしょぼいミステリしか書けない自分がいる……w
まあ、機関誌をたのしみにしておいてください!
かなり調子に乗っちゃってますよ、僕!


ではでは〜w