久しぶりのブログ。これは僕に対しての鎮静剤であり、もしくは贖罪のようなものである。
朝八時半ごろに、弟に起こされた。日曜日のこの時間はいつもなら熟睡しているのだが、前日に夜更かしをしていなかったからだろうか、すんなりと起きれた。しかし、この爽快な目覚めを一気に、どん底に突き落としたのは弟の一言だった。
「ボンが死んだ。」
前日……いや、二週間前から、個人的には三年前に遡りたいのだが……。
これはぼく個人のものだと思ったので、三年前から語っていきたい。
詳しくはもう覚えていない。ただ、調べようと思えば、調べることはできると思う。阪神タイガースが優勝した年で、近くの神社の夏祭りが行われている日だった。夏祭りの日を覚えたいないから、ボンとの出会いの日にちを覚えていない。
実際にあったのは僕ではなく、弟だ。神社ちかくのたこ焼き屋で友人とたべっているときに、肩に飛んできたらしい。なんという奇跡。黄色の赤目のセキセイインコをボンと名づけたのは、次の日だったはずだ。野良インコだ。
僕はもともと鳥好きだったので、飼うことは大いに賛成だった。反対したものは家族にいなかった。
二、三週間前にボンの羽にしこりができているのを発見した。もっと前にできていたのかも知れないが、ぱっと見たときに気づけたのはこのときだ。最初は蚊に噛まれた様な腫れ具合で、たいしたことはないだろうと思っていた。
一週間が過ぎ、その腫れがますますひどくなっていることに気づいた。母親が、なにかよく分からない薬を塗っていたが、全く効き目はなかった。僕はやめるように言ったのだが、聞く耳を持たなかった。腫れ……、腫瘍と呼ぼう、それはますます大きくなった。母親は「小さくなっている」と言い張った。肥大のピークを過ぎると、小さくなったというより、まとまる風になった。観点をかえれば小さくなたといえないこともない。腫瘍は黄色くなり、皮一枚を隔て、中に膿がなまっているように思えた。肉ではない肉。そういう感じだった。
命日の前日に、もう、もたないと思えるほど衰弱していた。動かせば危険なのはみんなが承知だった。僕も、触りたくて、支えてあげたくて、包んであげたくて……だけど、安静にすることが一番だ、無駄に警戒させる僕の近くより、慣れた鳥かごの中の方がいいと自分に言い聞かし、延命に対して、一番言い方法を選んだ。
しかし、親父がボンを籠から出し、手にのせていた。この行動は彼の独断だ。正直、怒りが沸いた。僕と弟は自分の部屋に、母は風呂に入っているときだった。
「鳥かごの中のほうが絶対に安心できていい。」
僕が言うと、親父は
「手の中で眠るほうがいい。」
と、言った。では、ボンを見よ。手の中で眠れているのか?眠れているのか?と、親父に対しここまでの怒りが沸々と湧き上がったのは初めてだ。毎日の如く嫌悪していたが、ここまで、真剣に消えればいいと思ったのは初めてだった。
ボンは震え、おびえきっている。元気なときならば、わめきながら噛み付いてくるのに、それさえしない。そう、威嚇をしていたボンがそれをやめ、おびえているのだ。そのような状態で、手の中で安らかに眠れるといえるのだろうか?僕はいえないと思う。インコの気持ちはインコにしか分からない。インコに寄り添えるのはインコしかいないと思う。
直情だけで動いた結果がこれだ。僕は親父をにらみつけた。親父はボンを戻した。それが正解だと思った。
夜中のボンの描写は控えよう。ここに記さなくても、鮮明に残っている。思い出したくない……。
今朝、弟によばれ、二階のリビングに下りると、ボンは死んでいた。半目で足が力なく、体をぎゅっと丸めていた。ボンの体を受け取り、ほほで触れてみると、まだほんのり暖かかった。たぶん数分そのままだった。
その後、近くの公園に埋めに行った。
僕は、ボンに何をしてあげれたのだろう?
ボンは僕にいろいろなものをくれた。これは事実だ。存在するだけで、意味をなす者だったのだから。それなのに、僕は……。
『忘れない。』これが、僕のとるべき行動だと思っている。
もし、ここまで読んでくれた人がいるならば感謝しよう。
僕の独白の見苦しさを、許してください。